ハイデッガー「存在と時間」を読む(16)
おはようございます、HITOIKIです。10月最後の週末は好天に恵まれましたね。昨日は抜けるような青空の下、プチ縦走を楽しみました。歩行距離7.6km で累積高度1018mでした。やはり、1000mを超えての登りを終えると、次の日は体も軽く、やっぱり山はいいですね。今回もEsbit(エスビット) アウトドア キャンプ ポケットストーブとWIDESEAのチタンマグカップ 450mlを使っての山ごはんを楽しみました。ラーメンの次はパスタです。450mlのマグカップで料理するには、スパゲティでは無理そうなので、ラ・モリサーラのマカロニのオレッキエッテ・プリエージ・リガーテ・ブロンズ (No.30)を使いました。親指より少し小さめでマグカップでも茹でられそうです。生のまま茹でると時間がかかるので、あらかじめ、水に浸けておいて持ってきました。その際に使ったのがヒューマンギア スタックスMです。水を入れても大丈夫なようにパッキンが内蔵されています。欲張って持ってきたので、溢れそうになりましたが、固形燃料4個で美味しく茹であがりましたよ。
それでは、ハイデッガー「存在と時間」の第16回目です。身の回りの世界には様々なものがありますね。それをハイデッガーは道具的存在者と客体的存在者と単なる事物に分けています。その区分には世界を見て分析する際の目のつけどころの違いが根拠になります。では本文を見てみましょう。
第一六節 内存在的存在者において通示される、環境世界の世界適合性
「目立たしさ、催促がましさ、煩わしさというこれらの様相は、用具的存在者において客体性の性格を浮かびあがらせるという機能をもつものである。しかし、その場合、用具的存在者はまだたんに客体的なものとして眺められ見つめられているのではなく、そこにきざしている客体性も、まだ道具の用具性につながれている。それらの道具は、まだ、被いをかぶってたんなる事物に身をやつすには至らない。道具は、ひとが押しのけたくなる物という意味の道具(厄介物)となる。しかしこのようにおしのけたくなる気を起こさせることのうちに、道具的存在者は、そのどうにもならない客体性において、なおも手もとに具わっているものとして現れでているのである。74頁」
あるものが壊れると目立ってきます、また、手もとにないと催促された気を起こさせます、そして、それが邪魔となると煩わしさを感じさせます。それらはすべて、手もとにあるという客体性からきます。ただの事物に身をやつしてはこんな風にもなれません。
「同様に、日常あまりにも当たり前に存在していたのであらためて気にもとめなかったような用具的存在者が、あるとき見当たらない、ということは、配視において発見されていた指示関連がとぎれた、ということである。配視は当てを失い、そしていまはじめて、なくなったものが何のために、何とともに手もとにあったかを思い知らされる。ここでもまた、環境世界が通示されてくる。75頁」
用具性はそれが故障していたり、手もとになかったりすると、なおさら偲ばれてくる。だから、すでに世界は開示されているのです。
開示はハイデッガーの重要な概念です。開放的な気分といったことはよく経験すると思います。そして、そんな気分になると、周りのものと自分とがつながっているような幸せな気分にもなりませんか。世界が広がってきます。
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