ハイデッガー「存在と時間」を読む(30)

 こんばんは、HITOIKIです。山形も雪が降りました。冬タイヤの準備を急いでいます。寒くなりましたが、あったかい薪ストーブのある山小屋でひっそりと過ごしてみたいです。そんなで、避難小屋の最新情報を取りに行きたいと思っています。それでは、ハイデッガー「存在と時間」の30回目です。今回は気質と気分の違いについてです。では、本文を見てみましょう。

 第三〇節 心境のひとつの様態としての怖れ

「怖れのすべての変様は、心境的存在の可能態として、現存在が世界=内=存在として「ものおじ」していることを示唆している。この「ものおじ」は、事実上散見される気質という存在的な意味に解されるべきものではなく、現存在全般の本質的な心境のーただひとつのではないがー実存論的可能性として理解されなくてはならない。142頁」

 「ものおじ」しやすい内気な人。よくそれは気質と呼ばれるけれど、それは心境(気分)なのです。心境の変化というように、気分屋というように、凝り固まったものではない。内気な人こそ、大胆な選択ができるものです。
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