ドゥルーズ「意味の論理学」を読む(22) 第26セリー

布団に入って、眠りに着こうとした時、激しい揺れを感じた。それから、また数回の揺れ。あの時が蘇る。まずは、家族の無事をLINEで確かめられた。落ち着かない感じで今日も終えようとしている。歩いたところは、前と変わりはなかった。風は冷たく、首元が冷えた。復旧を祈る。
 それでは、ドゥルーズ「意味の論理学」の22回目。深層にあるものが事物だとすれば、表面には言語がある。事物は表面へと命題と共に浮かぶ。では、本文を見てみよう。

第26セリー 言葉 

  • 言葉を可能にするもの
〈言葉〉

「こうして、言葉を可能にするものは、出来事を表現する命題とも、命題を発語する者の状態とも、命題によって指示される事物の状態とも混じり合わない限りでの出来事である。そして、実際、それらは、出来事がなければ雑音、それも不十分な雑音にすぎないだろう。17頁」

 声が存在であるなら、言葉は無条件で可能であるように思えるが、声にならない言葉というものはあるものだ。言葉の生成。それが出来事だ。

  • 言葉の組織の要約 
〈二つの参照項〉

「事物の状態にやって来る出来事と命題の中で存立する意味は、同じ存在者性である。そうして、非物体的な出来事が構成されながら表面を構成する限りにおいて、出来事はこの表面に二つの参照項を上昇させる。18頁」

 言葉の組織を存在者性といっているのだろう。まず、表面に向かって二項が上昇する。二項とは事物と命題。その上昇をもたらすのは出来事。事物と命題は表面で言葉となる。

  • 動詞と不定法
〈事物の状態・意味や出来事〉

「動詞には二つの極がある。一つは現在形で、これは、継起の物理的時間に応じて、指示可能な事物の状態と動詞との関係を表わす。もう一つは不定形[不定詞]で、これは、動詞が含む内的時間に応じて、意味や出来事と動詞との関係を表わす。21頁」

 動詞は行為を表象しない。なぜだろうか。それは言語だからだろう。言語は表現されるものであり、意味そのものだからだ。
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